2017年7月12日水曜日

心霊治療に関する本 2

迷える霊(スピリット)との対話―スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年

・訳者あとがきより

本書は、米国の精神科医カール・ウィックランド博士が、異常行動で医学の手に負えなくなった患者を、特殊な方法で治療すべく悪戦苦闘した、30余年にわたる記録の全訳である。

その特殊な方法とは、心霊研究の分野で“招霊実験”と呼ばれているもので、異常行動の原因は死者のスピリットの憑依であるとの認識のもとに、その患者に、博士が考案した特殊な静電気装置で電流を通じる。

すると、その電気ショックがスピリットにとってはまるでカミナリに当たったような反応を生じ、いたたまれなくなったスピリットが患者から離れる。

それをマーシーバンドと名のる背後霊団が取り押さえて霊媒に乗り移らせる。

乗り移ったスピリットは大半がその事実に気づかずに、霊媒の目・耳・口を自分のものと思い込んで使用し、地上時代と同じ状態で博士との対話を交わすことになる。

その問答を通じてスピリットは、現在の本当の身の上を自覚して患者から離れていく、という趣向である。



背後霊の不思議―あなたの運勢を開く

・まえがきより

かく言う私は一介の心霊治療家である。

一日におよそ二十人から三十人の患者を治療しているが、その九十九パーセントまでが医学的に“不治”とされている人たちである。

歩けない人、ものが言えない人など、医学から見放された人が私のもとに来ては杖を置いて帰り、「ありがとう」という言葉が言えるようになって帰っていく。

そうした人たちからの感謝の手紙を週に何十通も受け取っている。

そうした治療家としての体験を通して、私は人間および人生について普通では学べないものを数多く学んだ。

いわば患者が私に教えてくれたわけである。

病気になる人には病気になるような一つの型がある。

その型にはまらないようにさえすれば病気は避けられる。

また過去のそうした誤った型から脱して首尾よく健康を回復した人は、単に健康だけでなく、必ずそれ以外の何物かをも獲得してくれる。

すなわち人生に落ち着きと自信を取り戻し、現代生活の複雑さに耐えていきるだけの抵抗力といったものを身につけてくれる。

こうして、心身の病を治療できる私が、それを未然にふせぐ方法を知っていても不思議はないであろう。

私は本書で、自信をもってそれを説いている。

病気に代わって健康を与え、無知に代わって知識を授け、それを基礎として快適で生き甲斐のある人生を築いてもらうべく、いろいろな角度から説いた。


2017年7月8日土曜日

霊の存在や霊界について 7

心霊と進化と―奇跡と近代スピリチュアリズム

・訳者あとがきより

原著者のウォーレス Alfred Russsel Wallace については改めて紹介するまでもない。

ダーウィンと並んで自然淘汰説を進化論に取り入れた博物学者としてその名を知られているが、ごく最近になってこの自然淘汰説は実はウォーレスの方がオリジナリティをもつものであったことが明らかにされた。(アーノルド・ブラックマン「ダーウィンに消された男」朝日新聞社刊)

しかしそれ以上に知られていない事実、というよりはむしろ偏見をもって誤解されている事実に、ウォーレスのスピリチュアリズム研究がある。

目に見えぬ知的エネルギーの存在を単なる好奇心や俗趣味からでなく、人生哲学と専門の根幹として真剣に調査研究したその成果をまとめたのが本書である。


・まえがきより

初めて心霊現象の話を耳にした時も、唯物論で埋め尽くされた私の思想耕造の中には、霊とか神といった物質以外の存在を認める余地はまるで無かったといってよい。

が、事実というものは頑固である、どうしようもないものである。

知人宅で起きた原因不明の小さな心霊現象がきっかけとなって生来の真理探求心が頭をもたげ、どうしても研究してみずにはいられなくなった。

そして、研究すればするほど現象の実在を確信すると同時に、その現象の種類も多岐にわたることもわかり、その示唆するところが近代科学の教えることや近代哲学が思索しているものからますます遠ざかっていくことを知ったのである。

私は事実という名の鉄槌に打ちのめされてしまった。

その霊的解釈を受け入れるか否かの問題より前に、まずそうした現象の存在を事実として認めざるを得なかった。

前に述べたように当時の私の思想耕造の中には“そうしたものの存在を認める余地はまるで無かった”のであるが、次第にその“余地”ができてきた。

それは決して先入観や神学上の信仰による偏見からではない。

事実を一つ一つ積み重ねていくという絶え間ない努力の結果であり、それよりほかに方法が無かったのである。



古武士霊は語る―実録・幽顕問答より

私は最初書店で題名を見て『こんな本があるからだめなんだよな。』と思ってしまいました。

武士のお化けが登場する、恐怖を煽るようなオカルト本の類だと思い、霊的な知識の妨げとなるような本だと思ったのです。

で、著者名を見て『え!?』と驚いてしまいました。

そこで、手にとって中身を確認して買い求めた次第です。

内容は、無念の割腹自殺を遂げた加賀の武士が、積年の願いを遂げるためにある家の若主人に憑依して出現した事実を、それに関わった人が記録として残したものを、丁寧に解説したものです。



私の霊界紀行―驚異の幽体離脱体験記

・訳者まえがきより

スカルソープ氏は地味な霊能者である。

経験年数からいうとすでに30年近くになるが、派手な活動をせず、著書も他に本書の続編が1冊あるだけで、コツコツと体験を積み重ねながら、つねに修養を第一に心がけている真摯な学徒という印象をうける。

本当はすべての霊能者がそうあらねばならないのである。

ところが、これは世界どの国の霊能者にも言えることであるが、霊能が出はじめると何となく偉くなったような錯覚を抱き、まわりの者にもてはやされるとその錯覚を一段とエスカレートさせ、ご大層なことを言い出し、法外な金銭を取りだす霊能者が多すぎるのである。

そうした中でスカルソープ氏は初心を忘れないきわめて貴重な存在であり、そうした性格や生活信条は本書の随所に表れている。

私がぜひとも本書を翻訳して紹介したいと思った理由もそこにある。


2017年7月6日木曜日

心霊治療に関する本

霊体手術の奇跡―霊医ウィリアム・ラング

・まえがきより

つまり私が入神すると、その私の肉体をウィリアム・ラングという1037年にこの世を去った外科医が占領し、自分の肉体同然に駆使して患者の手術に当たるのである。

手術といっても肉体に手術するのではない、患者の「霊体」に手術するのである。

その間私は無意識のままである。

その意味では私はきわめて消極的な協力者にすぎない。

が、私がいなくてはラング霊も治療ができない。

その上、普段の私にはもう一つの大切な仕事がある。

すなわち世界各地から寄せられる申込みの手紙や治療後の経過報告に目を通し、しかるべき処置をとらねばならない。

そうした仕事の具体的な内容については第三章でくわしく述べるつもりである。



私は霊力の証を見た―奇跡の心霊治療

・あとがきに代えて より(訳者)

心霊治療に関する最も新しい本にD・ハーベイの「癒す力_心霊治療とその実体験」というのがある。

古代からげんだいまでの奇跡的治癒の事実を細かく分析・検討した力作であるが、その「序論」の冒頭を飾っているのが本書の著者モーリス・テスター氏の体験である。

この事実からも、奇蹟的治癒の体験後、自らが治療家となったテスター氏は西洋でも極めて異色の存在であることが窺える。

第一章を読まれてこの劇的な体験に感激された方が多いのではなかろうか。

まさに奇蹟と呼ぶに相応しい。

私も訳しながら思わず涙のにじむのを感じたほどである。



現代人の処方箋―心霊学に学ぶ

・序より

テスター氏は、本書の中で現代人の身体的病気や精神的ないし感情的な行き詰まりの原因となっている“心の姿勢”を正すための指針を、心霊治療家としての豊富な経験にもとづいて述べている。


2017年6月30日金曜日

ベールの彼方の生活

霊界通信 ベールの彼方の生活〈第1巻〉「天界の低地」篇
霊界通信 ベールの彼方の生活〈第2巻〉「天界の高地」篇
霊界通信 ベールの彼方の生活〈第3巻〉「天界の政庁」篇
霊界通信 ベールの彼方の生活〈第4巻〉「天界の大軍」篇

・近藤さんは「シルバーバーチの霊訓」「モーゼスの霊訓」そしてこの「ベールの彼方の生活」を英国三大霊訓と呼んでいます。


・訳者より

国教会の牧師であったオーエン氏は自動書記通信が実際にあることを認めるのに10年、その内容の真実性を得心するのに15年を費やしてようやく公表した。

が、その内容が伝統的キリスト教を否定するものであったために、国教会の長老から弾圧を受け撤回を迫られたが、その確信ゆえに断固として拒否し、ついに辞職の道を選び、余生をスピリチュアリズムの普及一筋に捧げた。


・まえがき(G・V・オーエン)

この霊界通信すなわち自動書記または(より正確に言えば)霊感書記によって綴られた通信は、形の上では4部に分かれているが、内容的には一貫性を有つものである。

いずれも、通信を送ってきた霊団が予め計画したものであることは明白である。

母と子という肉親関係が本通信を開始する絶好の通路となったことは疑う余地がない。

その点から考えて本通信が私の母と友人たちで構成された一団によって開始されていることはきわめて自然なことと言える。

それが一応軌道に乗った頃、新しくアストリエルと名告る霊が紹介された。

この霊はそれまでの通信者に比べて霊格が高く、同時に哲学的なところもあり、そういった面は用語の中にもはっきり表れている。

母の属する一団とこのアストリエル霊からの通信が第一巻「天界の低地」を構成している。

この言わば試験的通信が終わると、私の通信はザブディエルと名告る私の守護霊の手に預けられた。

母たちからの通信に較べると流石に高等である。

第二巻「天界の高地」は全部このザブディエル霊からの通信で占められている。

第三巻「天界の政庁」はリーダーと名告る霊とその霊団から送られたものである。

その後リーダー霊は通信を一手に引き受け、名前も改めてアーネルと名告るようになった。

その名のもので綴られたのが第四巻「天界の大軍」で、文字どおり本通信の圧巻である。

前三巻のいずれにも増して充実しており、結局前三巻はこの第四巻のための手馴らしであったとみても差し支えない。

内容的にみて本通信が第一部から順を追って読まれるべき性質のものであることは言うまでもない。

初めに出た事柄があとになって説明抜きで出てくる場合もすくなくないのである。


2017年6月26日月曜日

霊訓(Spirit Teachings)3

インペレーターの霊訓―続『霊訓』


・訳者まえがきより

本書は英米をはじめとする西洋各国で“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれて百年以上もロングセラーを続けている『霊訓』の続編である。

(中略)

さて、この続編はモーゼスの死後、恩師である医師のスピーア博士の夫人が、博士宅で催された交霊会の筆記録の中から、ぜひとも公表すべきであると思われるものを選んで心霊誌Lightに掲載し、それにモーゼス自身が同じ心霊誌に発表していた記事の中から参考になるものを精選して、それといっしょに一冊にまとめたものである。


・本文より

われわれは人間に対して、自分をおいて他にいかなる救い主も説きません。

胸をえぐられる思いの後悔の念と深甚なる償い_罪の結果はそれしかありません。

悪いと知りつつ犯した罪が生み出すその結果から逃れられる者はいません。

誰一人いません。

お慈悲を求めていかに大げさに泣き叫んでみても、それだけで即座に神の御前に侍らせていただけるようなことは断じてありません。

また底無しの地獄絵図など、われわれは説きません。

肉体的に、精神的に、そして霊的に、地上の人間としての義務を果たすことによって徐々に幸せに、少しずつ神らしく成長していきます。

2017年6月25日日曜日

霊訓(Spirit Teachings)2

世界心霊宝典〈第1巻〉霊訓 (1985年)(国書刊行会)
 
コスモ・テン・パブリケーションのものと内容は同じですが、近藤さんは『あとがき』にこう記しています。


・あとがきより

今こうして上梓するに当たり、その名誉をよろこぶと同時に、こうした訳し方でよかっただろうかという一抹の不安と不満禁じ得ない。

もっと平易な現代語に訳すことも出来たであろう。

訳者も当初それを試みてはみた。

が原典のもつあの荘重な雰囲気を出すには現代語では無理と判断し、結果的にこうした形に落ち着いた。

この最大の要因は、この霊界通信が単なる霊的知識の伝授ではなく、霊媒のモーゼスと指導霊イムペレーターとの壮絶とも言うべき知的並びに人間的葛藤の物語であり、そこに両者の個性がむき出しになっている点にある。

そこにこそ本霊界通信の、他に類を見ない最大の魅力があり、その生々しさを表現するには文体を操るしかないと判断したのである。


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ということで、コスモ・テン・パブリケーション発行のものと比べて、文語調のかたい文体となっています。


・本文より

一人の向上心に燃える魂の熱望に応えて授けられたるものを当人は万人に等しく分け与えられるべきものと思い込む。

そこで宝石が小箱より取り出され、一般に披露される。

ユリの花が切り取られて人前に飾られる。

とたんに純粋さが失われ、生気が半減し、萎縮し、そして枯死する。

彼にとってあれほど美しく愛らしく思えた真理が忙しなき生存競争の熱気と埃の中で敢えなく新鮮味を失いゆくのを見て驚く。

己の隠れ処においてはあれほど純にして真なるものが、世に喧伝されると見る間に精彩を失い、場違いの感じを受けることに驚異を覚える。

彼がもし賢明であればこう悟る_ヘルモンの露は魂の静寂と孤独の中でこそ純化されるものであること、花は夜の暗闇の中でこそ花弁を開き、真昼の光の中では萎むものであること、即ち至聖にして至純なる真理は霊感によりて魂より魂へと密かに伝達されるものであり、声高らかに世に喧伝さるべきものではない、と。


※ヘルモン(Mount Hermon):シリアとレバノンの間に位置する山脈の最高峰。


2017年6月24日土曜日

霊訓(Spirit Teachings)

インペレーターと名のる紀元前五世紀の霊が、英国の牧師だったモーゼスの腕を借りて(自動書記と呼ばれる方法)、キリスト教の間違いを指摘しながら十年間にわたって霊的教訓をつづったものです。

自分の腕を使って、自分の信仰とまっ向から対立する思想をつづる目に見えない存在を相手に、熾烈にして壮絶な論争を延々十年にもわたって続けています。


「モーゼスの霊訓(上)」(コスモ・テン・パブリケーション)
「モーゼスの霊訓(中)」(コスモ・テン・パブリケーション)
モーゼスの「霊訓」〈下〉 (TEN BOOKS)(コスモ・テン・パブリケーション)

※絶版のようです。


・本文(上)より

人間は霊界へ来たからとて、地上時代といささかも変わるものではありません。

その好み、その偏執、その習性、その嫌悪感をそのまま携えてくるのです。

変わるのは肉体を棄てたということだけです。

低俗な趣味と不純な習性をもつ魂が、肉体を棄てたくらいでその本性が変わるはずはありません。

それは、誠実にして純真な向上心に燃える魂が、死と同時に俗悪な魂に一変することが有りえないのと同じです。

そなたがそれくらいのことを知らずにいることこそ、われわれにとっては驚異です。

考えてもみられよ。

純粋にして高潔な魂が、視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できるであろうか。

しかるに、あなたがたキリスト者は、神を憎み、善に背を向け、肉欲に溺れた罪深い魂も、懺悔一つで清められた天国へ召されると説かれる。

前者が有りえないごとく後者も絶対にあり得ません。

魂の成長は一日一日、一刻一刻の歩みによって築かれるのです。

すぐに剥げ落ちる上塗りではないのです。

魂の本性に織り込まれ、切り離そうにも切り離せない一部となりきること、それが向上であり成長というものです。