2017年4月12日水曜日

霊の存在や霊界について 3

コナン・ドイルの心霊学(潮文社)

・序-知られざる、ドイルのスピリチュアリズム研究(近藤千雄) より

“シャーロック・ホームズ”シリーズの原作者であるコナン・ドイルが1882年に医学部(エジンバラ大学)を出たころは、米国で勃発したスピリチュアリズムの波が英国でも第一級の知識人を巻き込んで、一種の社会問題にまで発展し、その事実は当然ドイルの耳にも入っていた。

そして、ちょうど、『緋色の研究』を執筆中と思われるころに、ニューヨーク州の最高判事J・W・エドマンズの霊的体験記を読んでいる。

しかし、その時はまだまだ懐疑的で、それを詠みながら、人間界のドロドロとしたいがみ合いを毎日のように裁いている人はこんなものに興味をもってしまうものがと、むしろ哀れにさえ思ったという。

しかし、次から次へと出版されるスピリチュアリズム関係の書物の著者が、いずれも当時の第一級の知識人で世界的に名声を博している人たちであることを知るに及んで、もしかしたら頭がおかしいのは自分の方かも知れないと思いはじめ、そこからスピリチュアリズムへの取り組み方が変わっていった。

そして、間もなく、グリニッジ海軍学校の数学の教授でドイルが主治医をしていたドレスデン将軍の自宅での実験会に出席し、驚異的なアポーツ現象(外部からの物品引き寄せ)を目のあたりにして、深く考えさせられた。

それがきっかけとなって、知人のスピリチュアリズムに関心をもつ二人と自分の三人で、自宅で交霊会を催すようになった。

霊的原理を知らないままの、言わば手探りの状態で続けられたその交霊会で、ドイルは頭からバカにできない何かがあるという感触を得ながらも、どちらかというと失望・不審・不快の繰り返しを体験し、相変わらず懐疑的態度を崩しきれなかった。

本文でも述べていることだが、ドイルがのちに、異常現象をすぐに摩訶不思議に捉えてはいけない - あくまでも常識的な解釈を優先させ、それで解釈が不可能な時にのみ霊的に考えるべきである、という態度を強く打ち出すようになった背景には、そうした初期の苦い体験がある。

こうしてスピリチュアリズムに関心を寄せていく一方では、シャーロック・ホームズ・シリーズは売れに売れて、アーサー・コナン・ドイルの名は英国はもとより、世界中に広まっていった。

ドイルがその後もスピリチュアリズムへの関心を持ち続けて、最後には“スピリチュアリズムのパウロ”とまで言われるほど、この新しい霊的思想の普及のために太平洋と大西洋をまたにかけて講演旅行をするようになった最大の原因は、そうした推理作家としての人気を背景にして、著名霊媒その研究者たちと直接に接することができたからだった。

本書に収められた二編は、40年近いスピリチュアリズムとの関わり合いによって得た“死後の世界の実在”への揺るぎない確信をもとに、それが有する時代的意義と人類全体にとっての宗教的意義とを世に問うたものである。

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